「私があなたにお話しするように理解してください。私は、肉体を持って生まれた言葉であるイエスです。私の聖餐の心は宇宙の中心です。しかしこの心が一人の魂も救うことはできません。その魂が神聖な愛に身を委ねない限り。身を委ねる程度によって、聖性の度合いが決まります。確かに自己放棄こそ救済への鍵です。」
「心の中を自分自身で満たしている魂は私を愛したり信じたりさえできません。自我愛はいつもサタンが通る扉です。自我愛とは、権力やお金、野望、評判、感官的な快楽、貪欲など、すべてサタンから来たものへの過度な愛です。」
「しかし魂が神聖な愛に身を委ねると、彼は私のために全てのこと、自分の「望み」さえも捨てる用意があります。」
「そんな魂は認められる必要がないのです。彼はいつでもスポットライトを嫌い、評判には関心がありません。彼は自分自身や自分の計画を宣伝することはなく、静かに私の指示に従うため背景で待ちます。私が代わって何かを達成した場合、彼は称賛を求めるのではなく神にお礼を言います。このように謙虚な魂が神聖な愛に身を委ねると、私は喜んで彼らを使いとして用いることができます。彼らは心の中に神聖な愛を入れさせているのです。私の必要性を自分の前に置きます。」
「これらこそ私が「私自身」と呼ぶ者たちです。」