聖トマス・アクィナスが言います:「イエズスにお褒めあれ。」
「今日は、あなたに不敬について話すために来ました。ここで私は単なる下品な言葉だけを指しているわけではありません。むしろ、現在の瞬間の不敬についてより具体的に語ります。魂が意識的に聖愛の中で今この瞬間に生きることを選ばないとき、彼は手元のその瞬間を汚してしまいます。『でも私は常に聖愛で生きようと努めています。』と言うかもしれませんね。しかし私の使徒よ、正しい人も一日中何度も転ぶものです。」
「魂は神や隣人に代わって自分自身とその欲望を心の中心に置くことで現在の瞬間を不敬します。もしかすると彼の評判が傷つけられ、侮辱者たちに許しを求める代わりに怒り、正義を求めてしまうかもしれません。あるいは感覚に訴える物質的なものを追い求め、その獲得を神や隣人よりも心の中心に置いてしまうかもしれません。または成功、お金、権力への野望で他のことが頭から消えてしまうかもしれません。」
「今日は各人の魂に真実の目で自分の心を見て、現在の瞬間をどのようにして何のために不敬しているのかを見つめるように招待します。なぜなら、ただ真実の目を持って初めて彼はそれぞれの瞬間に聖性をもたらすことができるからです。」