「私はあなたがたのイエスである。肉体を持って生まれてきた者だ。私はいま、慎重さという美徳を理解する手助けに来た。慎重さは魂の良心なのだ。慎重な人は聖なる愛を守護として自分の考えや言葉、行動を見張らせる。慎重さは領域を侵す者から守る番犬のように働く。慎重さは魂を監視し、その意図と行動をチェックする。」
「もし慎重さが見えるものなら、それは悪をすべて取り除き良いものは残しておく筋のようなものだ。あるいは味わうことができるならば、それは触れた物を引き立て、より完璧で美味しくする塩のようになる。」
「魂は自分自身に慎重さをつけることはできない。食べ物が自ら調味料になることも不可能だ。しかし、魂は慎重さを実践し祈ることができる。誠実と単純さは心の慎重さの前に来る。彼らは心に慎重さを迎える準備を整えてくれる。慎重さは知恵において完成するが、すべての美徳には愛がある。」